並んで、内而的幼児性、自己中心性の肥大化、アパシ!と総称され

並んで、内而的幼児性、自己中心性の肥大化、アパシ!と総称される無気力、無関心、無感動な非社会的行動の広がりであると分析している。年は、過半数が社会のために役立ちたいとは、あまり考えていない。社会に不満を持っていても、変えようとはしなにその即一山は、ひとりの力では及はないから。二OK前半まで根拠にされているのは、名砲の淵究結川水であるが、それによると、二Oから二四歳の背雌かに若者は、遊び小心のグループ交際にはたけていても、け的ぞ拘げて組織したり、協力して迎併行動をとるのが判手に比える。日本の青年の社会への係わり万は山脇的または未熟である。社会生前をしていれば、各’の行動は社会と係わりなしには成され得ないが、ひとりでやっても引状は変わらないだろうと、制柘的に係わろうとしない人が多い。二O代後半無附なのであろ・フ。無気力分析する川ナ出は、総務庁背少年対策本部の「青少年の活力に閲する研究調査」(昭和五九年)で一五から二凶歳と二五から六問歳を比較している。「何もしたくない」気分になることが「ある」「よくある」「ときどきある」の合計が一五から二四歳が六六・九%、二五から六凹歳ては五二・五%。「一人きりがいちばん気が楽だ」が五五・六%と三二・一%、「学校や職場に山山るのがイヤだ」は四四・O%と二0・六%があげられている。確かにと以上との問、ては差がついているが、「とききある」場合も気力減退で無気力としてしまうのは少々縫問である。誰だってとききは、何もしたくなくなったり、ひとりでポッ!としていたかったり、学校や職場へ行きたくないと思う時はある。サラリーマンであったり、仕事を持っていれば、そうは思っても上司や職場、生活、妻子のことを考えて、重い腰を上げて行ったり、やったりする。ところが一五から二四歳の大半は暇のある生徒、学生だから、そう思ったら実行する自由がある。私は「何もしたくない」と思うことがとききあるし、しょっち?フ「ひとりきりがいちばん楽」と実感しているが、無気力とは思っていないし、他人から指摘された経験もない。会社に雇われ、新聞記者だった聞は、「こんなに天気がよい日は会社へ行くより海辺へ出てポッ!としていたいな」と思いながら出勤したし、仕事が終って「本を読もう」と思っていても、「一杯やろうか」なんて誘われれば、「何か話があるのかな?」と思いながら深夜までつき合ったりした。人は環境への適応、順応力が鴛くほある。